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2004年12月25日
Season Greetings
WAR IS OVER IF YOU WANT IT
メリー・クリトリス!
ハッピー・乳・嫌~ん!
投稿者 Ashe : 23:22 | コメント (0) [misc. ]
2004年12月22日
「誰にでも秘密がある」
またまたgooからあらすじ引用:
彼氏を振ったばかりのミヨンは、二枚目実業家スヒョン(イ・ビョンホン)にすっかり心を奪われ、猛アタックで見事に恋人の座を射止める。スヒョンは、女心を知り尽くした完璧な男。ミヨンの次姉ソニョン(チェ・ジウ)は、恋愛経験のない本の虫だが、妹の恋人スヒョンが、予想以上に教養高いことを知り、いつしか強烈に惹かれていく。一方、夫との関係がすっかり冷え切った長姉ジニョンも、スヒョンの魅力を無視できなくなっていた。やがて3姉妹の恋は、それぞれに急発進し始める…。
***
軽い小品といった感じで楽しめました。はい。宣伝であるようなロマンチック・ラブコメとかではなくて、これは大人向けエッチな笑い話です。そう割り切ると、実に気楽に見て楽しめます。こう言うちょっとエッチできわどいコメディ話は、少し前まではアメリカでも日本でもたくさん作られていたような気がするんですが、いまはあまりなくなってしまったかな。去年の「恋は邪魔者」とかがそのジャンルだったです。あれはもともと60年代のドリスデイとかが主役のちょっとエッチなコメディを真似していたわけで、すでにノスタルジーの世界に入ってました。この「誰にでも」はそれを韓国風に狙ったわけでしょう。日本映画ではたまにピンク映画でこういうのが出てくる程度になってしまってますね(とは言っても、最近は見てないのですが)。結局、主人公のモテモテ男は三姉妹のすべてとエッチして、結局、三姉妹とも幸せに導きますが、そこはどうでもよくって、それぞれのエッチのところがこの映画の目玉です。一番、過激と言ってよいのは人妻長女の韓国伝統衣装・・・ええっと、チマチョゴリか・・・それを着たままでの騎乗位セックスです。切実そうでした。次が、冬ソナの主演の女の人・・・ええっと、あ、チェ・ジウさんか・・・彼女の初体験フェラのところです。実際には見せませんし、フェラのシチュエーション自体はたいしたことがないのですが、一瞬見せる、胸の谷間にドキンとなりました。ええっと、状況的には、あなたが仰向けになっているとして、着衣のままの彼女があなたの下腹部の方から這い上がってくるときにちょっと胸の谷間が見えるという、そういう状況です。想像していただけたでしょうか。あと、冬ソナ・チェ・ジウさんは、今回、メガネっ娘です。メガネ萌えの人は速攻で劇場に行くとよいと思われます。次の画像のようなルックスです。
で男優さんは原田泰造さんでした。
投稿者 Ashe : 18:21 | コメント (0) [movies ]
2004年12月17日
「僕の彼女を紹介します」
またまたgooから引用・・・
一見うら若い乙女、ギョンジン(チョン・ジヒョン)は、仕事に燃える熱血警察官。誤認逮捕が元で知り合った高校教師、ミョンウ(チャン・ヒョク)と恋に落ちた。無鉄砲なギョンジンを、ハラハラしながら見守るミョンウは、何があっても彼女を守ると心に誓う。ある夏、車で旅行に出た2人は落石事故にあい、川に落ちたミョンウが意識を失ってしまう。ギョンジンの必死の処置で一命を取りとめたミョンウは、彼女への気持ちを一層強くするが、そんな2人に、過酷な運命が待ち受けていた。
つい2年位前までしばらく映画館から遠ざかっていたので、最近の韓国映画の隆盛はあまり知らなかったのだけれども、それでも「猟奇的な彼女」とこの前の「オールド・ボーイ」を見て、ああさすがに力つけてきてるんだなあと感心したのだった。何となくハリウッド映画を見てすごいなと感心するときとは違って、韓国映画に感心するとき、少し悔しいなあ、日本映画ももっと力をつけてくれるといいんだけどなあと、妙に屈折した感情も抱いてしまうのが不思議なのですが(古い世代だってことか)。ただ「オールド・ボーイ」の方は別として、「猟奇的」を見たときの感想としては、ああ、これが韓国風の味付けなんだろうなとも感じたのだった。見方によったらコテコテとしか思えないエピソードをこれでもかと畳み掛けてくるところ。ちょっと醒めた態度で見たら、途中から乗っていけなくなるキワドイところを突いてくる感じ。それは日本映画にも香港映画にも中国映画にもないところでした。だが、その濃い味付けが美味しいところで、「猟奇的な彼女」は傑作と言えるラブコメディだったと思います。韓国物のよさは「冬のソナタ」などのテレビドラマは見てないので、最近のブームは何にも分かりませんが。
で、それと同じ監督クァク・ジェヨンによる、同じ女優チョン・ジヒョンが主演の映画がこれです。路線はまったく同じ。強気のヒロインと弱気の男とのラブコメです(後半は純愛物)。ただ、前作「猟奇的」とおのずと比較になってしまうのだけど、今回はダメでした。味付けが微妙に狂ってます。勘違いが露見してしまってると思うのでした。感動を盛り上げようとしてのストーリーラインなり音楽なり絵の撮り方といい、狙いすぎなのです。てか、古臭くてくどい感じ。
(以下、ネタバレあり)
例えば、ストーリーラインで言えば、警官が誤って愛する人を自分が撃ってしまうというのはどこかでなかったか。それでもその愛する人は霊になって本格的に死ぬまでの49日間、彼女を助けまわるとかなかったかなあ。「ゴースト」とか。ストーリーはいずれ何かに似てしまうのはしょうがないとして、失意のあまり自殺しようとするヒロインの撮り方はステレオタイプだし、音楽での盛り上げもなんだかなと思うのでした。何より、恋愛で盛り上がる2人を撮る時、2人を中心にカメラが周りをぐるぐる回って撮るやり方、あれが確か3回も出てきたのでした。あれ見てると、見てる方が目が回っちまうんですが(実際、気持ち悪くなって視線を外してた:笑)
ストーリーもわざとだろうと思うけれど、妙にはぐらかすところがあって、そこは受けるシーンだったのかなあと疑念を感じました。川に溺れて死に掛けるけど、そこでは死ななくて、別のところでやっぱり死んじゃうとか、いったんはビルから飛び降りようとするけど、そこでは飛び降りないで、別のビルから飛び降りる(けど死なない)とか。どっちも大きなストーリーラインからするとまったく余計な部分だったし、アレを外してもっとストレートに話しを運べば、すっきり嵌ると思われたのでした。上映時間を延ばすためにとってつけた感じのシーン。「猟奇的」の方はリアリスティックな状況でのラブコメだったけど、今回は霊が出てきたりとファンタスティックになったので、頷けなかったのかもしれません。最後には大林宣彦がやるような合成画像とかになってました。ひゅーん。
最後の地下鉄のところで「僕の彼女を猟奇的の彼氏に紹介します」となってつながるわけですね。そこもピシッと2つの映画が整合するように持っていったら嬉しかったのになあ。
投稿者 Ashe : 18:27 | コメント (0) [movies ]
「淫乱元妻」(5)
やあ、やあ、やあ! あはははは! しばらくぶりだなぁ。え!? 放置しすぎだって? いやいや、参ったなあ。てか、放置は俺の得意技だ。知ってる人は知ってるよな! って誰に言ってるんだ、俺。
というわけで、前回からの続きだ。ようやく、第2パラグラフに入ったぜ。コピペしておくな。
Off we went to some of the seedy bars around town. I always loved to have her "show off" in semi-public places and she really got turned on doing it too,especially when she knew that nobody would recognise her. After awhile,she suggested we go in an adult book store to check out some "sex toys" for her to play with. She always loved to masturbate with various dildos and vibrators, some were realistic shaped, some "huge" toys that I could not believe that she could even take inside her pussy.
まず最初の文のOff we went to some of the seedy bars around town.だが、いきなり倒置法じゃねえか。we went off to some of ~って語順になるところを変えちゃってるわけだな。かっちょええな、倒置法ってのはって思うんだ、俺は。まあ、そこら辺はどうでもいいが。だが、この元に戻した形のwe went off to some of ~というのもちょびっと奥が深いような気がするな。ていうか、offとto some of the ~というところ、日本語に直そうとすると、ピシッとコンパクトに一対一で日本語にできねえんだわ。went offというのとwent to どこどこというのが圧縮されてはまっちまってる形な。だから日本語にすると、「外に出かけて」+「どこどこに行った」と2文に分けなくちゃいかんのだ。ここら辺、英語と日本語の大きな違いっぽいな。
でもって、どこに出かけたかというと、some of the seedy bars around townだ。このseedyってのが微妙な形容詞だよな。「いかがわしい」といった意味なんだろうが、元々は名詞のseed「種」からできた形容詞だろ? どうしてそれが「いかがわしい」になるんだ? seed→semenという連想か? まあともかくaround townとあるから街のあちこちにある、そういうヤバめのバーを何軒かはしごして回ろうってこったな。「というわけで、俺たちは街に出て、いかがわしいバーを見てまわることにした」くらいの訳だな。
次の文は、これだ。I always loved to have her "show off" in semi-public places and she really got turned on doing it too,especially when she knew that nobody would recognise her.
ショーオフ! ショー(ユア)フラッグなんかよりよっぽど大事なフレーズだ。ただ単にショーするだけじゃねえんだ、ショーしてオフするわけだ。バンバン、外に見せるわけ。そりゃいいわな。しかもsemi-public placesでだ。しかし何だな、public placesってどんなところよ。
まず、駅や商店街は確かにパブリックだな。問題は、暗がりが多いバブや映画館、ファーストフード店、路上などは? いやいろいろ訳してきて思ってることはというと、この「パブリック」というのは、要するに、よそ様が(ヨン様じゃねえぞ)、その気になったら見ることができるような場所と思うわけだ。普通のファーストフード店とか、正直、他のカップルが何やってるかなんか興味ねえわな。だが、そっちのほうから妙な色っぽい声が聞こえてきたら、そりゃ視線を向けるわ。そして、いかに視線を逸らそうとも、いったん気になったら最後、しっかり意識はそっちに向いてしまうわけだ。そういう、「普段なら、別に気にはしないが、その気になったらいつでも見ることができる場所」それがpublic placesだと思うわけだ。別段、新しいことは言っていないが(自嘲)
てか、それにsemi-がついてるのはどういう意味よ! わかんねえー!
まあ、そういうちょっとやばめの場所で奥さんに露出させるのが大好きって旦那の話だな。だがだ、まじで思うのだが、そういう場所で自分の妻なり彼女なりに露出をさせるのはいいんだが、一体全体、どういう言い方でそれをさせるかってのが、正直、俺にとっては謎なのよ。「お前の美しい体を露出して見せて、お前が男たちにじろじろ見られているのを見るのが好きなんだ」とかって言うのか? 俺には言えねえよ、いや、まじで。
で、どこまでイッたっけ? ああ、次のand she really got turned on doing it too,って所だな。ここんとこのポイントはturn onって表現だ。これは最重要表現な! センター入試に出るぞ! TOEICにもな! このonってやつは、電気のオン・オフのオンと同じだ。だから「彼女は、これをすると本当にスイッチがオンになる」って感じだ。で、何のスイッチが入るかって言うと、アレだよ。「エッチ・スイッチ」だ。アレをやりたくてたまらない気持ちのスイッチがカチッっと入るわけだ。だからスイッチを切るのをオフというのと同じで、反対語はturn offだ。「萎え萎え~になる」って感じだな。
こんなスイッチがあったら便利だよなぁ、いやまったく。女の場合、カチッと入れると、じゅん!とあそこがびちゃびちゃになる。男の場合、カチッと入れるとビン!と勃起。・・・いや、却ってまずいか?いたずらされたら堪んねえな。カチッ、カチッ、カチッ、カチッって連続でやられて、ビン!、萎え~、ビン!、萎え~ってなったら、自分でも笑っちまうわ。おもちゃじゃねよって! ショートしちまうよって!
で、続く部分がespecially when she knew that nobody would recognise herだな。前のところのgot turned onのところにかかってる要素だな。ここではrecognizeか? あ、スペリングがこいつの場合はrecogniseと-seとなってるな。これはイギリス英語ってこった。まあそこらは置いておいて、recognizeってのは、「誰々を、誰々だと認識する」ってのがもともとの意味だと思うわ。recognize herってのは「彼女のことを、『ああ、どこどこの誰々だ』と認める」こと。うまく伝わんねえかな。よく2ちゃんねるで、「誰々の中の人」とか言うだろ? あれでいけば、「彼女の中の人をちゃんと認識する」って感じだ。(え? なおさら分からねえって? そうかもな>オレ)
ていうか、正直、俺の場合、recognize Asheという事態になったらどうすんべがと心配になるときがあるわ。こんなページやってるわけだから「Asheの中の人」がバレたら、マジヤバだぜ。職場では謹慎処分(あるいはクビ?)、妻には逃げられ(あるいは黒人男漁りに走られ?)、子供たちには愛想をつかれ(あるいは、父親の跡を継ぐ!と言い出す?)ことになりかねねえぜ。いやマジで。みんな、仮に俺のことに気づいても、そっとしておいてくれよな。頼むよ。
で、I always loved to have her "show off" in semi-public places and she really got turned on doing it too,especially when she knew that nobody would recognise her.を訳すと「俺は、いつもそうだが、わりと人に見られる場所で妻の体を露出させるのが大好きだし、妻の方も、露出すると実に興奮するのだった。特に、自分のことを知ってる人が誰もいないと分かる場所では好んで露出プレーを楽しんできた」って感じか?少し余計な情報を加えちまってる感じはするが、まあ、いいだろうって。
おっと授業時間終了のチャイムはもうとっくに鳴ってたな。延長しちまったぜ、すまん! んじゃ。
(ぶつぶつ文句をいいながら退室する受講者たち)
投稿者 Ashe : 06:09 | コメント (2) [エロ翻訳講座代理講師 ]
2004年12月16日
「Mr.インクレディブル」
スーパー・ヒーローの黄金時代。正義のために戦う彼らは、人々の尊敬と憧れの的だった。だがその桁ちがいのパワーは社会に損害を与えることも多く、ついに政府はスーパー・ヒーロー制度の廃止を宣言する。それから15年。人気・実力とも最高のヒーロー“Mr.インクレディブル”も、今や保険会社のしがない社員ボブ・パーとして暮らしている。元スーパー・レディの妻と3人の子供との生活は表向き幸せだったが、ボブはかつての充実感を忘れられず、悩んでいた。そんな折、元スーパー・ヒーローが次々に行方不明となる事件が起こる…。
***
「トイ・ストーリー」や「ファインディング・ニモ」など、だいたい毎年1本の割合で良質のCGアニメを出し続けてきているピクサーの新作です。いや、楽しめました。小中学生のお子さんと見に行くなら「ハウル」よりこっちの方がずっとお勧めです。遥かに分かりやすく、遥かに楽しめるように作られています。いや、お子さんと行かずともお父さん一人で見に行っても楽しめます。何と言っても、「インクレディブル」の奥さんのヘレンが魅力的です。この奥さん、「ワンピース」のルフィーのごとくゴムゴムの体をしていて、体を伸縮自在にできる能力を持っているのでした。その視覚的な色気と共に、ストーリー上も、ヒーロー稼業をやめて何となくくすぶっていた夫が、陰で再びヒーローとして活躍できるようになり、同時に生活にも張りが出てきたり、ぶよぶよになったお腹を引き締めるため日夜トレーニングに励み、元の逞しいヒーローとしての体を取り戻すと、(ファミリー向けですから明示的ではなく「暗に」ではあるものの)複数回、愛の営みを求めたり、浮気を疑ったりと、日常的な奥様が漂わす日常的なセクシーさを振りまいてくれます。表情が何となくアジア系っぽいのもいいです。下の画像の右側の人。
左側のメガネおばちゃんは日本人の世界レベルの服飾デザイナーという設定らしいです。こしのじゅんこさん?
今年は押井守の「イノセンス」、大友克洋の「スチーム・ボーイ」、そして宮崎の「ハウルの動く城」と日本アニメの3巨匠が作品を公開するということで期待された年だったわけですが、そして、それぞれそれなりに優れたアニメだったと思うのですが、結局、3本とも難解だったり、絵に力を置きすぎたりと、若年層アニメが本来持っていた「誰にでもストーリーが読めて、感動するテーマがあって、そして躍動する絵に心を躍らせる」というところから離れてしまっているように思いました。だから悪いと言ってるのではなく、すでに、そういうことを目的としなくなっているという寂しさを感じるわけです(「スチームボーイ」はそれを狙ったのかもしれないけど、正直、外してた)。その点、ピクサーは外していませんでした。
脚本が上手いのかもしれない。というか、実に練りこまれていると思います。練りこむと言うと複雑な伏線を張って、観客を唸らせるとかと感じがちですが、そうではなく、ストーリーラインや登場人物の心境、行動原理などがストレートに伝わるように分かりやすく、そして盛り上がるところもあり、小ネタも印象に残るというのがそれです。ハリウッド辺りには、そういうストーリーを作る専門集団が揃ってるのでしょう。この「Mr.インクレディブル」も、その意味での練りこまれた脚本と格段に毎年進歩していくCG技術とが上手く合体し、子供ばかりでなく大人も楽しめる(そして奥さんのゴムゴム~の体を見て、お父さんも楽しめる)作品になっていました。
笑えるほど上手くできているのは、悪役のシンドローム君のキャラです。インクレディブル一家は生まれつき特殊能力を備えていて、その上でヒーローとして活躍するわけですが、彼は最初は普通のテクノロジーオタクであり、かつミスター・インクレディブルに熱狂的に憧れていた少年だったのでした。インクレディブルにすげなくされた彼は、テクノロジーで代用する形で皆が超能力を手に入れれば、誰だって空だって飛べるし、強力な破壊力も手にすることができ、みんながスーパーヒーローになれるというのです。この理念は素晴らしい! 大賞賛モノです。だが結局は屈折しちゃってるんですが。で、自分のテクノロジー・ベーズドな超能力を人々にアピールするため、なんと自作自演で事件を起こすのです(怪物を作り、それに街を破壊させ、その後、自分でやっつけてみせる)。恐怖を演出し、それを排除して見せて支持を得るって、これはどこかの国にそっくりっぽいような気がします(またかよ!>オレ)。
ともかく、テーマ的には、「スーパーヒーローといえども自分の能力を最大限に発揮できないような不自由さは、人間をどよ~んと暗くさせる、それはダメ」ということと「家族が信頼しあい、それぞれに力を発揮していれば、どんなものにも負けない」という明るく正しい信念が謳われています。これは伝統的アメリカ映画的で見終わった後は爽やかです。
もう一枚、ヘレン奥様の映った画像を。
これを見たとき、「あっ!」って思いました。上のところのSock'er Momの文字です。ここの表ページというか某翻訳ページの本家に投稿されたストーリーの中に "Soccer Mom"というタイトルのストーリがあるのでした(まだ訳してませんが)。それをチラリと読んだときには、何でサッカーなのか全然分からなかったのでした。でもって、そのときはそのまま放置してたのですが、また別のストーリーにも出てきて、一体どんな意味なのだろうと興味を持ったのでした。で、Googleとかで検索してみると「子供をサッカーチームに通わせ、車で送り迎えするような、中流上クラスの家庭の主婦層。あるワールドカップを契機にアメリカでもサッカー熱が高まり、子供をチームに入れる家庭が増えた。クリントン大統領の選挙のときに、勝敗を分かつキャストを握ったと言われている」らしいのでした。とは言え、イメージが漠然としていたのです。ですが、この映画の前半部分に描かれているヘレン奥様を見るとsoccor momのことが実体としてつかめたのでした。なるほどね、こういう主婦を言うのか(参考ページ)。
なおちょっと穿った解釈ですが、このポスターのsockerはsoccerの異体字で、suckerとちょっと音が似ています。suckerと言えば、suck(吸う、フェラをする)+-erということで「おしゃぶり上手」という性的な意味もあれば、もうちょっと悪口になって「だまされやすい人、おバカ」という意味にもなります。後者の意味で行くとsock'er momは「おバカな主婦」になります。ポスターでsoccer momと書かずにsock'er momと書いてるのは、意図的にsuckerを連想するようにしているからとも見えます。で、そのポスターの中、ヘレン奥様は、ゴムゴムの腕で、その文字にパンチしている。我が子を守るようにして。
もともと強力なスーパーレディだったヘレン奥様は、スーパーヒーローの活躍が禁止された15年間、(超能力を発揮せずに、目立たない生活を送る)ごくごく平凡な家庭を守るのにきゅうきゅうとしていますが、いったん愛する夫や子供たちが危機におちると知ると俄然、大活躍します。sucker momにゴムゴム腕でパンチを繰り出し、我が家族を守るためなら何でもやるわって感じです。クリントンの選挙の時にはsoccer momが勝敗を決したそうですが、今は、これに変わってsecurity momという言葉が出ているそう(参考ページ)。彼女たちは共和党支持です。これも時代の流れなのかもしれないですねぇ(はぁ~・・・って溜息かい>オレ)。
投稿者 Ashe : 17:21 | コメント (0) | トラックバック [movies ]
2004年12月02日
「ハウルの動く城」
相変わらずgooからのあらすじ転載で。
魔法と科学が混在するどこかの世界。父が遺した帽子店で働く18歳の少女ソフィーは、ある日、悪名高き魔法使いのハウルに出会う。ハウルの正体はハンサムで心優しい青年だった。だがその晩ソフィーは、ハウルを目の敵にする荒地の魔女に呪いをかけられ、90歳の老婆の姿にされてしまう。家を出たソフィーは、荒地を歩くうちに一軒の家に迷い込む。実はそこは、人々が恐れる“ハウルの動く城”だったのだ。ソフィーは住み込みの家政婦となり、ハウルや弟子のマルクル、城の動力源である炎のカルシファーたちと奇妙な共同生活を始めるが…。

もう、予想はしていたけどやっぱり難しい。ストーリーを追いながら、圧倒的な画力に驚きつつ、登場人物の考えてることとか想像しながら鑑賞するわけでしょ?たった一回、劇場で見ただけで言わんとしてることを理解しろってのは無理ですよ。少なくとも僕には無理。しかも、言わんとしてることが複数あるとしたら、もうパニックです。劇場で何回か見て、DVDも買って繰り返して見て、初めて理解できてくるって感じですよ。もう、アニメもそういうレベルになってしまってるんですね。
さらりと見た限りの最初の印象だと、個人の幸せと戦争とか、老人問題とか、家族愛とかを扱ってるんだろうなとは感じられるのだが、なんだかもやもやしてるわけで、したがって、アレはどういう意味だったろうとか反芻して考えなくちゃいけなくなるのでした。だから、もう一回見なくちゃ分からないという状態になる。それに、作ったのがあの宮崎なのだから、一つ一つに意味がないはずがないと思うし。普通だったら、そういう1度見ただけで理解できないものは、プレゼンテーションが悪いからだと一蹴してしまえばいいのだけど、そこはそれ、宮崎アニメだし、簡単に伝わらないように描いていることにも意味があるはずと思い込んじゃうわけで、こりゃズルイと思うのだが、そういう映画を作れる立場の人なんだから、そこもしょうがないと思って、ハイハイ分かりましたよ、何か隠してるんでしょ、考えますよ、と言う具合にチト卑屈になって考え込んでしまうのだった(マゾですね)。だけど、考えようにも、一回だけだし、記憶もあやふやだし・・・
ただ、いくつかあるうち、リアルで見ていて、おおっとびっくりしたところがあるのでした。(以下、ネタばれ)
超美青年魔術師のハウルは、戦争が嫌いというまっとうな意識の持ち主で、夜な夜な鳥の姿に変身してはこっそり爆撃機や軍艦に攻撃をしてるわけだ。民間人には危害を加えていないからテロリストではなく、ゲリラということかな。反戦主義の攻撃的ゲリラ戦士。で、そうやって一戦交えてくると、ぐったりと疲れきっちゃってるし、体に汚れがついてくる。心が汚れてくるって感じだな。風呂好きと言うのはそれだ。でもって、本当は臆病で、スタイルを1番気にする、ちょっと軟弱系。そのハウルがだ、主人公のソフィとの愛に目覚めた後(?)、戦う理由が見つかったといわんばかりに、いきなり「僕には守るべきものができた」と宣言するのだった。ここで、のけぞったよ。
アニメ史上1、2位を争うであろう美形のキャラであるハウルが、しかもキムタク声で、目をキラキラさせて男らしく語るのである。
古くはアトムが人類のために戦った。「宇宙戦艦ヤマト」では、出だしは人類のためだったが、途中から、古代進は雪の愛に目覚め、雪を守るための戦いに進んだ。そして、その後の「機動戦士ガンダム」ではアムロがララアとの戦いの中で、「守るものがなくて戦ってはいけないのか?」と質問し、「それは不自然なのよ」と返答され、すったもんだした挙句、ホワイトベースの仲間たちを救うための戦いへと形を変えたのだった。「守るべきもののために戦う」というのは戦闘がかかわるアニメの中では、守る対象が変わってきたにせよ、ずっと大事にされてきた原則だと思うのでした。宮崎自身も、「コナン」とか「ラピュタ」では女の子を守るために男の子が必死に戦うアニメを作ってきた。「ナウシカ」も、少なくとも映画では自然を守る戦いかな。だけどねえ、それもどうなのかって反省がでてきていたと思うわけです。「エヴァンゲリオン」では戦いはしてたけど、何のための戦いか主人公自身、分からなくなっていたし、「もののけ姫」も対立はあったけど、決着がなかったように思うし。もう、何かを守るために戦うなんて、こっぱずかしい状態。なのにどうして、その美形キャラで言う?「守るべきものができた」だと?
そのまんまで、ハウルが敵と戦い、ぼろぼろになりそうなところをヒロインに勇気付けられ、再び立ち上がり、世界を安定に導いたら、マジで怒りましたね。国民の安全をスローガンにテロ支援国家と勝手に範疇分けして、テロとの戦争という名目でどかどか乗り込んで行って「世界安定」とやらをやってる国やその国に追従している国とまったく変わらんじゃないかってもんです。だがだ、さすが左翼の宮崎だ。そうはならなかったのだった。
「守るべきものができた」と勇んで戦うハウルはどんどんケダモノ化してしまうのである(あはははは、ざまあみろ)。で、美しきヒロインはそうはなって欲しくないわけで、「守るべきものって言うけど、んなもん、いらないわ!」って自分の手で壊してしまうのでした(老婆のソフィではなく、白髪の美少女の姿で)。いったんハウルの城はぼろぼろになります。その上で、新たにぼろぼろの家になります。だが、それすら不安定で、家も壊れます。最後は板一枚。ただし、ハートである心臓はまだ残ってるわけですが。で、そのハートは、しかし、主であるハウルの体内にはない。
ハートは炎の悪魔のカルシファーってのが持っているのでした。そいつとの契約でハウルはハートを預ける替わりに、強力な魔力をもっている。「魔力なんか要らない。ハートがないから。それを取り戻すことが最初」というのがヒロインの言い分で、それにしたがってハウルは心臓を取り戻す。と同時に魔力(=金、科学技術、武力であり、同時に生活を支える資源である)炎のカルシファーは解放される。とたんに、板一枚の家は崖から落ちそうになります。が、その時点まで築き上げてきていたカルシファーとソフィとの信頼関係のおかげで、カルシファーは、自ら進んでソフィーやハウルと行動を共にする。結果、板一枚の家は、緑の庭がきれいな住みごごち満点の空飛ぶ家に変わると。と、そういうことなのでした。
ということは、「(国民の安全とか、世界の安定とか、国益のためとか、そういう)守るべきもの」のために戦うという思考に囚われていると、いつまでたっても悲惨な状況は変わらないし、しかも、最初は崇高な理念であっても戦っているうちにじきにケダモノになってしまうものなのだと。そもそも、そんなヨソとの関係で「戦い守る」って考えがおかしいのであって、そんなもの、壊してしまえばいいのだ。いったん壊して、それでも追ってくるなら、逃げまくればいいのだし、板一枚のゼロの状態から作り直せばいいじゃないかっつうことなんでしょうか。そうなっても、カルシファーとの関係のようにもともときちんと信頼関係を作っておけば、生活に困ることなんかないはずと。うっし! 見事に左翼の宮崎だ! おー!
「今まで逃げてばかりいた。今は守るべきものが見つかった」とアニメ美青年らしく雄雄しく立ち上がって言い放ったハウルですが、そいつをひっくり返そうとしてるのでしょう。と、勝手に解釈(あはは)
って、たぶん違う解釈だな。公式サイトなのに「あなたが守るべき人とは誰ですか?」なーんてアンケートやってるし(あははは)。